上田浩之のインドネシア奮闘記ブログ

インドネシア スラウェシ島 バンタエン という周りに日本人がいない地で生徒17人への自動車専門技術、ソフトスキルの教育を行い日本でも通用する自動車エンジニアに育つまでを綴ったブログ

生かされている

10月30日   生かされている。

先週は休日にトラジャ地方に行ってきた。
トラジャはマカッサルから、車で10時間程かかる遠い場所にある。有名なのはトラジャコーヒーで、もしかしたら聞いたことがある人もいるのではないだろうか?
秀さんも、トラジャは文化が違って面白い所だから、ぜひ行ってみるといいと言ってくれていた。 私はトラジャのコーヒーをインドネシアに来て飲んだことがあるが、香りが濃厚で本当に美味しいコーヒーだ。マカッサル人はイスラム教が多い。しかし、トラジャはキリスト教がほとんどで、文化もマカッサルとは大きく違う。
 トラジャでは、人が亡くなった時のフェスティバルが壮大なのだ。人が亡くなった時に、トンコナンという少し変わった家に、亡くなった人をフェスティバルが行われるまで、置いておく。そのフェスティバルを行う為には、大金が必要になる。バッファローを生贄にして、角を飾るという文化がある。多い所では、200頭以上のバッファローを生贄にする事もあるらしい。だから大金が必要になる。 5年前に、トラジャ人の友達の祖父と、祖母が亡くなった。せっかくだから、会いに行く?って誘われたので、行って見る事にした。
 生きている時には、タバコが好きだったらしいので、タバコをおみあげに買っていった。
生きている時に、好きだったものをお供えする習慣があるみたいだ。
そして、山道を2時間近くも走ってようやく到着した。トンコナン一つ一つに、名前が付いている。トンコナンに名前を付ける文化があるらしい。そして、トンコナンの中に入った。
トンコナンの中は以外に広く、床さえしっかりしていれば10人くらいは入れそうな広さだ。なにか、本当に不思議な空間であった。遺体は、腐食しないように注射をしたり、特別な草で包むそうだ。5年経った今でも特に匂いはなかった。買ってきたタバコをお供えして、トンコナンから出た。フェスティバルが、行われるその日までは、まだトンコナンに安置しておくそうだ。  
 帰り道では洞窟に寄った。沢山のトンコナンがあり、観光地になっていた。
洞窟の途中では、沢山の頭蓋骨が祀られてあった。祀られているというより、無造作に積み重ねられている感じがした。 全て本物である。 そして、洞窟自体がお墓になっているみたいで、沢山の遺体が祀られていた。 今回は見る事ができなかったが、赤ちゃんが亡くなった時には、遺体を木の中に入れる習慣もあるようだ。 
 全て文化として、今も続いているのだ。同じインドネシアでも、場所によっては言葉も違うし、文化も全く違う。自分の目で見たのは全て事実で、死という事について深く考えるようになった。当たり前の様に生きているが、自分は何の為に生きて、何の為に死ぬのだろうか。なぜこの世に生まれて来たのだろう?そして、その意味は? 
 考え過ぎなのかもしれないが、そう考えさせられる状況が目の前にあった。
 トラジャに行く途中では。エンレカンという自然が豊かな田舎に寄った。レバランの休日では、牛を解体して、地元の人達に振舞うという習慣があるらしい。そこで、始めて牛を解体している所を見た。先程まで、生きていた牛が、ほんの数十分で肉の塊になっていくのを、最後まで見届けた。始めて見た光景は凄まじいものだった。
今まで、どのくらいの牛肉を食べてきただろうか。ただ単純にお腹が減ったから食べる、美味しいから食べる。というもので、ただ何気なく食べていた。しかし、その何気なく食べていた牛肉は、今目の前にある様に、沢山の犠牲の元に食卓に並んでいるのだと思った。
牛に限らず、人間の為に犠牲になってくれた、全ての動物、植物に対して、これからはきちんと、「いただきます」「ごちそうさま」という言葉を言おうと思った。 私達は生きているのではなく、沢山の犠牲の元、生かされていると感じた。今、生きている一瞬一瞬を改めて、大切に丁寧に生きようと思った。

 気がつけばインドネシアに来て、もう5ヶ月が過ぎた。この5ヶ月は本当にあっという間だった。残り一ヶ月悔いのないように、一生懸命頑張りたいと思う。



ひろの道
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