上田浩之のインドネシア奮闘記ブログ

インドネシア スラウェシ島 バンタエン という周りに日本人がいない地で生徒17人への自動車専門技術、ソフトスキルの教育を行い日本でも通用する自動車エンジニアに育つまでを綴ったブログ

BLKバンタエンをインドネシアで「一番の学校」にする為に必要な3つの方法!!


BLKバンタエンは小さなインドネシア
 
この2年間は早いようで、長いようで、早かったと思います。
インドネシアのBLKバンタエンを私は小さなインドネシアだと、スタート時から良く思う事がありました。
 
・賢い人がいたり、賢くない人がいたり
・要領がいい人がいたり、要領が悪い人がいたり
・反抗的な人がいたり、素直な人がいたり
・真面目な人がいたり、不真面目な人がいたり
・もてる人がいたり、もてない人がいたり
・明るい人がいたり、暗い人がいたり
・分数ができない人がいたり、数学が得意な人がいたり
・仕事ができる人がいたり、仕事ができない人がいたり
・年上の人がいたり、年下の人がいたり
 
たくさんの〇〇がいたり、〇〇がいなかったりでした。
 
このプロジェクトスタート時から、私の目標は決まっていて、校長先生にはいつも話していました。
 
私はこの学校をインドネシアで一番の学校にしたい。
 
インドネシアで、一番きれいな学校
インドネシアで、一番活気のある学校
インドネシアで、一番社会に貢献する学校
インドネシアで、一番自動車の専門知識を学べる学校
インドネシアで、一番生徒達が自主性をもった学校
 
私たちが関わる事ができる期間の終わりが見えてきました。
1学期から振り返り、ほぼほぼ自分の立てていた目標を達成できそうです。
生徒達、インストラクター達にも自主性が芽生え、自分達主体で活動ができています。
マネージメント、インドネシア労働省、JICAからの評価も良い評価を頂いています。
 
では、どのようにしてこのような結果を出す事ができたのか?
 
要因はたくさんあるのですが、その中で3つだけあげたいと思います。
 
インドネシア人の性格を理解した
・自分自身がたくさん勉強をして、レベルアップした
・発生した問題について、問題対処だけではなく、問題解決をおこなった
 
一つ目「インドネシア人の性格を理解した」
 
当たり前ですが、インドネシアは日本とは違います。文化、宗教、食べ物、性格などなど、まるで違います。
そこで初めにおこなった事は、まずは生徒達、インストラクターの事本気で知ろうと思いました。
年齢、性格、家族構成、夢 などです。
相手の事をしらないのに、私の事を知ってもらう事が出来ないと思いました。
お互いの事を知らないと、「私はAの山を登ります」でも「私はBの山を登りたいです」っと登る山が違ってきます。
 
なので、お互いの事を知り、お互いの登る山と頂上を一致させる事に専念しました。
 
私は、この学校をインドネシアで一番の学校にしたいんです。その為にはあなたの力が必要です。一緒にインドネシアで一番の学校にしましょう。っと。
この同じ山を登るという共通の意識がとても重要で、登る山が違うと、お互い一生懸命に別々の山を登っても、一生懸命に登れば登るほどお互いの距離が離れていきます。お互いに一生懸命なのに。
 
 
2つ目「自分自身がたくさん勉強をしてレベルアップした」
 
開始当初から色々な問題が発生しました。問題を乗り越える度に自分自身がレベルアップします。
その問題という壁を登る為に、ただやみくもに登ってとりあえず越えたからいいや。では得るものがなにもなく、同じ高さの壁がやってきた時には、またやみくもに登るだけ、さらに高い壁が来た時には超える事ができない。となってしまいます。
では、どうするのか?
 
この壁を乗り越える為には、どんな道具(知識)が必要か? 考えました。
 
なんども繰り返し、問題分析の本を読んだり、インターネットで調べたり、自分の頭で考える事を紙に書いて絞り出したり。あらゆる事を試しました。
そして、その壁を乗り越えたあと、乗り越えたから良かったではなく、なぜ乗り越える事が出来たのかを自分なりに分析をします。そうする事によって、次回同じような高さの壁がやって来た時、いとも簡単に乗り越える事ができます。もしかしたら、その壁がやってこないように、先手を打つ事も可能になるかもしれません。
2年間は壁を乗り越え続けた、2年間だったと思います。
そのおかげで沢山の道具(知識)、乗り越える為の勇気を身につける事が出来ました。
 
 
3つ目「発生した問題について、問題対処だけではなく、問題解決をおこなった」
 
発生した問題については、早急な問題対処と同じような問題が起こらないように問題解決をしました。
問題解決を行うポイントとして常に行っていた事があります。
 
問題を表面に出し見える化をしました。
 
そして、対策をすると同時に仕組みレベルまで落とし込みました。
問題解決の入り口で大事な事は、問題を問題と捉える事ができるかどうかです。
私が「学校にゴミが落ちているのは問題」だと言ったところで、生徒が「これは問題ではありません」となると、この現象は生徒にとっては問題ではありません。
その為に、あるべき姿と問題を明確にしていくことの練習を行いました。
生徒達自らで校内の問題を発見し、写真を撮り、本来のあるべき姿を考え、お互いにプレゼンテーションを行うという実践練習をしました。
そして、その校内の異常について、工場に添付して可視化しました。
そうする事により、異常だということをそれぞれが自覚する事が出来ました。
問題の対策を出す上で、同じような問題が起こらない為に、仕組みを作るようにしました。
 
例)トイレが汚い→トイレ掃除当番表を作成
例)インストラクターが仕事をしない→役割分担表を作成、サインをさせて工場に張り出す
 
など、同じ問題が起こらない為の仕組み作り、問題が起こった時には自分達だけで解決が出来るような仕組み作りを行いました。
 
 
以上の3点を、主に活動を行いました。
その結果
 
インドネシアで、一番きれいな学校
インドネシアで、一番活気のある学校
インドネシアで、一番社会に貢献する学校
インドネシアで、一番自動車の専門知識を学べる学校
インドネシアで、一番生徒達が自主性をもった学校
 
が少しずつ近づいて来たのだと思います。
 
 
そして、その私の考えの引き渡し作業を行なっているのが今です。
残り3ヶ月できちんと引き渡しが出来るかどうかで、プロジェクト終了後、更により良い学校になっていくのか、それとも下降していくのかが決まります。
 
 
自分自身に関しては、7月には愛媛トヨタでの本業務に戻ります。
この2年間で得た経験を、どのように仕事に活かす事が出来るのかを考えています。
仕事に活かす事ができて、2年間インドネシアで活動をさせて頂いた恩返しが出来るのだと思います。
 
残り、3ヶ月間と残すところ本当に後少しです。
最後ですので、やり残した事がないように、後悔しないように、そして怪我しないように、病気しないように、体調も整えて残りの任期をやり遂げたいと思います。