上田浩之のインドネシア奮闘記ブログ

インドネシア スラウェシ島 バンタエン という周りに日本人がいない地で生徒17人への自動車専門技術、ソフトスキルの教育を行い日本でも通用する自動車エンジニアに育つまでを綴ったブログ

家族

8月1日   家族

今日は、インドネシアでの私の家族を紹介したいと思う。
先日の日記にも、書いたように、今はプアサ(断食)のまっただ中なので、毎朝3:30頃にアパートのお母さんに起こしてもらい、お母さんの家族と一緒に朝ご飯を食べている。引っ越して来た当初は、友達と外食をするか、アパートで一人でご飯を食べていた。外食で、みんなと同じ物を食べると、なぜかいつもミーゴレン(焼きそば)ナシゴレン(焼き飯)になってしまうので、あまり体にはよくないと思っていた。
 ご飯を食べて、アパートに帰ると私は毎日、インドネシア語の勉強を部屋の外でしていた。 部屋の外は車が6台程止めれるような広さがあり、大きなマンゴーの木が植えられている。 昼間はマンゴーの木が、いい日よけになり、夜にはマンゴーの木に吊るされたライトや、アパートについているライトにより、外は少しおしゃれな感じにライトアップされる。
私はこの雰囲気がとても好きなので、部屋の中にいる時間よりも、部屋の外にいる時間の方が自然と多くなる。 部屋の外で勉強していると、いつもアパートの娘が近づいて来て、何をしているの? と声をかけてくれる。 
インドネシア語の勉強をしていると話すと、一緒になっていつも勉強をみてくれていた。たまにそのお姉ちゃんも、出てきて一緒に教えてくれている。
お母さんの家族は、お母さん、お父さん、娘3人、そして、一番上の娘の旦那の6人家族になっている。その6人家族が6畳程の小さな部屋に一緒に住んでいるので、少し驚いた。 
毎日のように、お母さんの家族と話しをしていると、少しずつ信頼関係ができてきた。
いつも、外か、自分の部屋の中で、ご飯を食べていたのだが2週間程前に、上田さん!
こっちで一緒に食べない?と部屋中にで一緒に食事を誘われた。
娘の旦那は、いつも遅くまで仕事をしているので、私を合わせて6人でご飯を食べた。
 いつも、食べているご飯と変わらないのに、その時はとくにおいしく感じた。
それから、朝ご飯と、夜ご飯は、いつもその家族と一緒に食べている。野菜は、魚や、鶏肉など、いろんな食べ物があるので、栄養も十分にとれそうだ。 
いつも、ご飯を食べながら、お母さんの家族の話しや、私の家族の話し、今日起こった出来事など、色んな話をする。 いつもは、優しい喋り口調のお母さんだが、私が冗談を言ったりすると、豪快に笑う。 それが、本当に印象的だ。
 
まだ、引っ越して来て新しいアパートに引っ越して来て、一か月程しか経っていないのだが、インドネシアの生活の中で、一緒にいる時間がもっとも長いのが、この家族だ。今では、インドネシアでの私の家族だと胸を張って言える程、絆ができたと思う。
ひろの道
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