上田浩之のインドネシア奮闘記ブログ

インドネシア スラウェシ島 バンタエン という周りに日本人がいない地で生徒17人への自動車専門技術、ソフトスキルの教育を行い日本でも通用する自動車エンジニアに育つまでを綴ったブログ

「日本の常識は世界の非常識!?」を身をもって体験している


「なぜ、あまりお礼を言わないのだろう問題」
 
日本では、小さい頃から、何かをして頂いたときには「ありがとう」といいなさいと教育されてきた
・ご飯をご馳走になったとき
「ありがとう」
・ものを拾ってもらったとき
「ありがとう」
・わからない事を教えてもらったとき
「ありがとう」
 
今まで「ありがとう」いう言葉を何万回言ってきただろう
それは素敵な言葉だと思う
感謝の言葉を言うことで、した側も気持ちよくなるし、して頂いた側も気持ちよくなる
感謝の言葉を言われなかったら、心の中で何かがひっかかるくらい
毎日、毎日使っている言葉だ
今までそれが世界の常識だと思っていた
 
色々なインドネシアの方々と友達になって思うこと
もちろんお礼を言わない人ばかりではないけど
日本人と比べてあまりお礼の言葉を言っている所を見かけないし、言われない
 
カフェやご飯を食べに行くとき
インドネシアでは暗黙のルールのようなものがある
それは
誘った人がおごること
それが、2人の場合も5人の場合もだ
日本人の文化??の割り勘をしている所みると
インドネシアの友達は衝撃を受けていた
なんで誘われているのに、お金をだすの??
ってな具合に
だから、ご飯を奢ってもらっても何事もなく
「また会おう」と握手だけして帰っていく
 
私も友達を何回もご飯に連れていったことはあるが
やっぱりお礼は言われない
「奢ったのに」と心では思っていたが
それがあたり前の文化だと思っていた
 
イスラム教の文化についてネットで調べてみたら気になる文章があった
 
イスラム教徒が考える善意の考え方
イスラム聖典クルアーンで言われている事、そのほとんどが日本人は出来ています。年長者を敬えとか。他人に優しく、とかとか。
しかし、根本的に違う考え方が一つあります。それは、日本人はその「人」の為に善意を行います。一方、ムスリムイスラム教徒)の人達は、究極的には「自分」の為に善意を行います。 こう言うと、ムスリムは自分勝手だと思われるかもしれません。ですが、そうではないのです。
「自分」の為の大前提には、アッラー(神)の為。そういう思想があります。アッラー(神)は、あなたの全てを見ています。たとえば、あなたが万引きをしてしまったとしても。あるいは、道に捨てられた猫にご飯をあげているところも。そういう「あなた」を見て、あなたが天国に行くか地獄に行くか判断するのです。
こんな思想が馬鹿馬鹿しい。そう思う人もいるかもしれません。ですが、私は「人」の為に行う善意の方がどれだけ独りよがりなものであるか。それを、実体験と共に学びました。
 
クルアーンとはコーランの事でイスラム教徒はどうあるべきか?
という、キリスト教でいうところの「聖書」のことで、この考え方がつねにある。
 
お祈りを毎日5回したり
断食を行なったり
豚を食べてはいけなかったり
お酒を飲んではいけなかったり
 
ここに書いたのはごく一部で、どのような行いをするべきかが非常に細かに書かれている
 
この記事を書いているのは、イスラム教の方なのだが
それを見てなんとなくわかった
 
例えば食事をおごったとする
おごった方は、その人の為におごったのではなく、自分(神)の為におごっているので
お礼を言われる筋合いはない
そして、おごられた方も自分のために、おごられたわけではないので
お礼を言う筋合いはない
 
ということだと思う
 
私は24歳のときに初めて海外(タイ)に出るまでは、日本の常識が世界の常識なのだと思っていた
 
ゴミはゴミ箱にひろい
食事は割り勘
時間にはきちっと守る
夜遅くまで仕事をする
地震が起こったとき、パニックになっていても、きちんと並んで順番を守って会計をする
 
改めて、日本の文化と他の国の文化には驚かされる
日本で当たり前だと思っていたことは、こちらではものすごく評価されることがよくある
ちなみに、日本人の印象は?と聞く
誰に聞いても規律が正しいという答えが返ってくる
 
大事だと思うのは
日本から一度飛びだし、海外で経験をすることで
日本の素晴らしさや、足りない所など
ようするに、比べる基準ができると思う
それによって今まで当たり前だと思っていた事が
世界を基準としてみると、実はそれがあたり前でなかったりすることがある
 
 
朝起きたら、嫁さん(母親)がご飯を作ってくれている
そんな当たり前の日常に感謝ができるような人間になりたいと思った